matohu matohu

COLLECTION

2021 AUTUMN & WINTER COLLECTION SEASON CONCEPT

 服を作るということについて考えてみる。それはこの世のすべての営みとひとしく、たくさんの手がリレーのように添えられてここにある。ただし残念ながら、実際には知られていない生産背景も多い。
 ところで最近「知っているようで知らないこと」が、とくに増えたように思う。なんでもスマホで検索して、疑問を「即終了」させる習慣が身についてしまったからだろう。昔はわからないことがたくさんあった。そしてわかった時の喜びも大きかった。いまは一瞬で「知る」欲望が満たされてしまう。でも実はそれはわかった気分でしかない。一生バナナを食べなければ、バナナの味はわからない。

 パンデミックという自然からのカウンターパンチをくらって、やや冷静になって周囲を見渡してみる。私たちはもう一度「原点とは何か?」を見つめ直す必要がある。家族、仕事、それを支える服、食事、住まい。だれもが「突然の死」と隣り合わせの時代に、目線は身近なものへ注がれる。ぼやけていた「生きる時間」が、鮮明にフォーカスされてくる。
 物作りのリレーをもっと丁寧に、もっと身近に、そして深く掘り下げる。それがいま向かうべき旅先だ。あまりに近すぎて旅しなかったところへ、解像度を上げて旅立とう。「知らないこと」をより良く知る旅へ。

 服をつくるためには、まず布が要る。布がなければ、服は受肉しない。コンセプトもデザインも布から始まる。けれど布を作る人たちは、ふだん服の後ろ側にいる。手織りの作家とは違って、ほとんどの布は機械で作られている。だから工場で働く人は褒められることも、名前が出ることもめったにない。けれど実際に現場に行くと、工夫を重ね、良い仕上がりを目指す人たちがそこにいる。手の延長として、機械が働いている。彼・彼女たちと話すと、物作りの喜びと息づかいが聞こえてくる。
 また、縫製工場の人たちがいなければ、服は存在しない。布を裁ち、さまざまなパーツを縫い上げるのも、すべて手作業だ。ミシンやアイロンはその道具のひとつにすぎない。縫製は同じ作業の繰り返しではない。あらゆる布に癖があり、仕上げに勘所がある。きれいに出来上がって当たり前の仕事の背後に、どれだけたくさんの創意と工夫があることだろう。縫製した人の名は残らないけれど、日々の生活に仕えてくれる大切な仕事だ。

 そして私たちのブランドのスタッフ。型出しと仮縫いを繰り返し、服の完成度をコツコツ上げていく。たとえコンピューターで型紙を読み込んで、プロッターが裁断してくれても、やはり手の延長だ。型紙を無駄なく布に配置して工場に送り出すのも、検品した服をお客様に販売し送り出すのも、手と心があってこそだ。

 一着の服について考えてみる。たくさんの手のリレーをさかのぼっていくと、もうこの世にいない人たちの仕事まで見えてくる。染織も、縫製技術も、機械も突然生まれたわけではない。あらゆる命のつながりと同じように、経験や道具には長い旅路がある。手のひらの上が、いつもその豊かな交差点だ。

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